img 祖父の「薬種商」の看板

昭和13年、ロウソク屋をしていた祖父が、猛勉強の末、「薬種商」の免許をとり、薬屋を始めました。そのときの勉強に集中する様子は、近くの川が氾濫して家の中に水が入ってきても気づかないほど机に向い、気づけば周りに辞書が浮かんでいたという逸話で父からよく聞いています。
私が小さい頃、祖父はとても朝早くから店を開けていました。明治生まれの人は本当に働き者です。
「おじいちゃん、おはようございます。ごくろうさまです」と挨拶してから学校に行くように父に教えられました。

 

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父は、とても穏やかで優しい人でした。私が学校から帰ってくると、いつもお客様の話にじっくりと耳を傾けている父の姿がありました。
おじさんにもおばあさんにも、酔っ払っている人にも怒っている人にも、笑顔で応じる父でした。
「薬屋というのは、ただ薬を売っている場所ではないんだな」と幼い私にもわかりました。ひとりひとりの心に寄り添い、その人なりの健康への道筋を示してあげる、そんな仕事を父はしていたのだと思います。

 

img おでこを撫でるとご利益あるかも

今もカウンターの上でお客様を迎え、見守っています。
そんな父を慕って、今日も会いにきてくれるお客様がいます。
ここが「こころとからだにやさしいお薬やさん」の田中薬局です。

(田中薬局次女 記)